福原です、
「いま困っている!」
という人は聞いておいてください。
終わり、は見えていますか?
「はい、もう人生の終わりです。おしまいです。どうにもなりません」
という終わり、ではなく、
・これからやることの終わり
です。
例えば、書類を作る、という仕事があるとします。
終わりは何でしょうか?
・何で提出しますか?
・何が書いてあればいいですか?
・どのくらいの量があればいいですか?
・いつまでに作ればいいですか?
・誰に承認をもらったらいいですか?
・作った結果として何が起きればいいですか?
これが『終わり』です。
困った困ったと言っている人は、
「これをやらないといけない」
と目の前のことは見えていても、
「最後はこういう状態になってないといけない」
が見えていない場合があります。
要するに「で、なんのためにやっているんだっけ?」
を考えていないのです。
資料1つでも、
会社の業績を左右する場合もあれば、
とりあえず形だけあれば誰も文句を言わないもの
もあります。
どのくらいの精度が求められるのか、
完璧よりも速さを求められることもあります。
子供のおやつを作るのに、
じっくりことこと煮込む必要はないのです。
冷蔵庫からチョコレート出してくるだけで
いいかもしれません。
大変だ大変だ、と思っていても
実際には、周囲の人も、あなた自身も、
すごいものを求めていないかもしれません。
だったら、適当にやって、
はいやりました、で終わらせても
いいことかもしれません。
真面目な人ほど、すべてを完璧に、
抜かり無く、誰にも文句を言われないように
しようとします。
そしてその理由は、自分が嫌われないためです。
文句を言われないようにするために
完全に近づけようとします。
そしてそれは難しい、無理だ、と判断して
手が止まるのです。
そして、手が止まって進んでいないことを
怒られるんじゃないかと思って、
さらなるストレスを作り出します。
でも、実際には、とりあえずやっておけば
誰も文句を言わないのかもしれません。
「本当になんでもいいから、早くやってくれよ」
が本音かもしれないのです。
で、何をすればいいか、というと、
終わり、を考えることです。
誰に何をしたら終わりなのかを、
書き出してみましょう。
「いや、私の仕事は完璧なものを作る必要があるんです」
という人もいるでしょう。
大きな責務を負った素晴らしい仕事なのでしょう。
であれば、完璧、を定義する必要があります。
例えばネジを作っているのであれば、
設計図から何ミリ、何ミクロンのズレまで
許容範囲なのかを確認しましょう。
1ミクロンのずれもなく、は不可能なはずです。
ある程度の許容範囲は設定されているはずです。
それは、思った以上に幅が広いかもしれません。
すごく頑張らなくても、あなたにとっての
適当な作業、で許されることもあります。
お客様も、精度の高い高価格なものよりも、
適当でいいから安いものを求めることもあります。
誰に向けた、何なのかを定義したときに、
何をすればいいか分かってきます。
私たちの行動が止まるのは、
何をしたらいいか分からないときです。
より詳しく言うと、終わり、が見えていないときに止まります。
旅行に行って、駅についた瞬間に
「で、どこに行こうか」
と思っているようなものです。
そういうぶらぶらする旅も良いでしょうが、
仕事だとそうはいきません。
何をするのか、を決めないと、
先に進むことはできません。
なので、まずは、終わり、を確認しましょう。
従業員の人は、終わり、は上司が決めるのでしょう。
分からなければ聞いてください。
自営業、ビジネスオーナーの人は
自分が決めることになります。
自分で決める作業は時には難しいことですが、
どこかのタイミングで決める必要があります。
終わりが決まれば、やることが見えてきます。
その時にはじめて、大変なのか適当でいいのかわかります。
終わりも見ていないのに、
大変だ大変だ、と騒がないことです。
意外とラクに解決するかもしれません。
そして、ここが面白いところですが、
終わりを見て「これは難しい!大変だ!」と
思っても、最終的にはうまくいくことが多いです。
終わりを見ると、やり方が見えてくるからです。
繰り返しますが、行動が止まるのは
何をすればいいか、何が終わりなのかが
見えていないからです。
まずは、いま目の前の作業は、
何をやったら終わりなのかを確認しましょう。
ぼんやりでもいいです。
上司から「はい、お疲れ様」と言われている
自分を想像するところからでもいいです。
そして、何をしたらお疲れ様、になるのかを
確認していきましょう。
そのときに、やるべきことが見えてきて
行動がとりやすくなっていきます。
さらなる詳しい話は、こちらのコースで学べます。
福原宏志^^
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