福原です、
次の質問に答えます。
「私は、いまの仕事ではない、
別の仕事をしたいです。
自由な生活を送って、
経済的にも、精神的にも、
誰からも自由になってみたいです」
はい。
素晴らしいですね。
現在の生活に不満を持つことも、
望む生活に変わりたいと、
思うことも良いことです。
あとは、
・自由
という言葉を、もうちょっと
深掘りして考えてみましょう。
自由とは何か?
なんとなく、ですが、
・自由=束縛がない、縛られていない
という感じでとらえている
かと思います。
イメージとして、体にくっついていた
縄が外れて、
「私はどこにでも行ける!」
というフワッとした感覚で
自由、と言っているのだと
想像しています。
では、
・どこにでもいける!
として、
・どこにいく
のでしょうか。
これ、結構、悩みませんか?
逃げたいだけになってませんか?
「自由になりたい!」
と思っている人は、実際には、
・いまイヤなものから逃れたい
のだと思います。
イヤな人、イヤな作業、が
目の前にある。
これから逃げたい。
誰の手の届かないところに
行って、ラクになりたい。
これが『自由』と思っていませんか?
しかし、これ、
・望んだ状態になる
とは別の、
・とにかく逃げる
をやっているにすぎません。
この2つは、同じように見えて
実際には、全くの別物、です。
あなたの自由は、
・ひたすら逃げたい
になっていませんか?
自由とは選択できること
で、一つ提案ですが、
・自由
という言葉を、
・選択の幅が広い
と思ってみてください。
「私は自由だ!」
は、
・やりたいことがたくさんあって
・それらを複数実現できて
・その都度好きなものが選べる
ことだと思ってみてください。
変な例えですが、
・素うどんだけの店
ではなく、
・バイキング(ビュッフェ)
だと思ってみてください。
あなたの人生と言う名のお皿に、
好きなものを好きなだけ取り、
食べることができるのです。
これが、私の提案する、
自由のイメージです。
自由なバイキング
あなたは大きなお皿を
抱えています。
まだ何も乗っていません。
そして、向こうのテーブルには
数え切れないほどのごちそうが
待っています。
そうしたら、あとは、
・好きなものを取って食う
だけですね。
何を食べようかちょっと悩む
かもしれませんが、目についた
美味しそうなものを順番に
取っていけばよいのです。
ちょっとずつ食べてもいいし、
好きなものをたくさん食べてもいい。
人生もそんなものです。
いましたいことを探して、
それをやってみる。
よかったら、さらに深掘りして
ハマっていってもいいし、
途中で辞めてもいい。
続けながら、他のことを
やってもいいわけです。
とりあえず肉を食って、
飽きたらサラダを食べてもいいし、
肉とケーキを同時に
取ってもよいのです。
これが自由のイメージです。
・・・
腹が減ってきましたね…
うどんだけを食べる人生
では逆に、
・自由じゃない生き方
はどんなものでしょうか。
・素うどんだけの店
です。
べつにうどんに悪口がある
のではないですが、
さすがに同じうどんばかりだと
飽きてきます。
食べたくなくなって
別のものを欲しがります。
でも、自由でない人は、
・一度始めたことは
続けなければならない
と意味不明の供述を始めるのです。
「私はうどん屋に入った。
そして今日までうどんを
食べ続けた。
明日からもそうするだろう。
65歳まで私はうどんなんだ。
うどんが私の人生だ」
という人がいたらどう思う
でしょうか。
私は、
「アタマいかれてるなー」
と思います。
上の、うどんを、1つの仕事に
変えると分かりやすいですよね。
カッコイイようにも聞こえますが、
「あんたそんなにその仕事、
本当に好きなの?」
と聞きたくなります。
好きならいいですが、
大体の場合、嫌いですよね。
いろいろ食べればいいじゃない
別にうどんを食べ続けてもいいように、
1つの職業を続けてもいいです。
個人の選択なので私は
止めることはしません。
ただ、
・目の前にバイキングがあって
・でっかい皿持ってるんだから
・肉でもケーキでもピザでも
パスタでもチョコレートフォンデュでも
いろいろ食ったらいいじゃないの
と思うわけです。
いろいろ皿に盛りながら、
これはうまい、これはマズイと
試しながら、
・好きなものだけ食う
・キライなものは1回食べて終わり
でいいわけです。
別のことしてみたら?
なんか食い物の話になってるので
自由に話を戻しましょうか。
最初に就職した、とか、
いままでやってきた、とか
良くわからない理由で、
今の仕事を続けなくていいのです。
続けながら、別のことを
やってもいいし、
辞めて別のことをしてもいいし、
仕事は続けながら
新しい趣味で新しい人たちと
つながってもよいのです。
選択肢はいろいろあるはずです。
その中から何を選ぶかを
自由にすればよいのです。
これが自由のイメージです。
多くの人の自由のイメージは、
・手に持った器に入ったうどんを見て
・「私はもう、うどんを食べたくない!」
と言っているにすぎません。
まぁそれでもいいのですが、
うどんのあとに、
・何を食うのか
が重要なわけです。
おなかいっぱいならちょっと
休んでもいいですが、
・次に何をするのかを選ぶ作業
を初めてください。
よく分からなかったら
ちょっとだけ食べても
いいのです。
他の人が食べてるやつの
味を教えてもらうのでもいいです。
次に何を食べようかな、を
考えるためには、とりあえず、
「うどんはもういやだ!」
となげくのをやめましょう。
想像したらわかると思います。
大の大人が、器を片手に
「うどんいやだ!」
「もう食べたくない!」
と叫んでいたら、
「あほか!
あっちのテーブルに山ほど
別の食べ物あるだろ!
好きなの食え!」
と言いたくもなるでしょう。
あなたも自分自身に、
「あほやなー」
と言いながら、別のものを
探しにいってください。
いろいろ試しながら
自分に合ったものを探せば
よいのです。
「自由になりたい!」
が、
「うどんいやだ!」
なのか、
「何食べたらいいか迷う!」
なのか、確認すると
面白いかと思います。
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